練馬区の女性専用シェアハウス 空室の詳細→ click

企画・運営会社

企画・運営会社

女性専用の賃貸住宅を手掛けて60年。良いお部屋には時代を超えた空気感の良さがあります。

現代に生きる私たちも、将来にわたり永く愛され続けるお部屋を提供することを目標に、丁寧にお部屋の魅力を発信し続けていきたいと思います。

表面を見るだけではわからない些細なこだわりや魅力が、入居者様の当たり前の日常を支えており、関係者全員がそのことを誇りに感じています。

シェアハウス Mother TREE
株式会社アノラ 代表取締役 板津 淳

当たり前の日常を支える

こぽこぽとお湯の沸く音。

豊かな会話、笑い声。

当たり前の日常を続ける。

「おかえり」の聞こえる家。

東京には入り方がある


東京は、大勢の人が行き交い、
輝きがはみ出すくらい
素敵な街だけど、


入り方を間違えると、
あっという間に
沖へ流されてしまう。


荒波に翻弄されるんじゃなく、
地に足つけて
着実に一歩前進する。


小さな良かったことに気づく。


ある日、ふと振り返れば、
「遠くまできたもんだ」
と思うかもしれない。


でも、
そんなことは今はわからないし、

今から心配したところで
始まらない。


大事なのは、今朝も
充電満タンな私であること。


さあ、今日も街へ飛び出し、
楽しみ、この一瞬を味わおう。

Mother TREEのはじまり

私共の事業は、福島県石城郡田人村(現在の福島県いわき市)にて呉服屋を営んでいた板津げんが、昭和30年に孫に当たる板津洋吉に、東京府上練馬村(現在の東京都練馬区)に土地を買い与え、一軒家と小さなアパートを建てたことが始まりです。

アパート(全4室)は女性限定とし、お家賃の支払いは懐かしい現金手渡しで、長年に渡り丁寧で顔の見えるアパート経営を行なって参りました。時代の変化と共に平成27年にシェアハウス(全7室)として再オープン。現在の形となっております。

享保年間からの板津家年譜とその周辺

文書で確認できる限り一番古い記録は、のちに板津家に嫁ぐことになる田中げんの生家である尾張國の田中家開祖・田中伝四郎の没年。時の天皇は東山天皇、中御門天皇。徳川幕府は六代将軍家宣、七代家継、八代吉宗の時代。名奉行と謳われた大岡忠相が江戸町奉行に任命された。老中・水野忠邦が享保の大改革を行い、厳しい年貢の取り立てに検地反対、大規模な百姓一揆が多発した、厳しい時代だった。

年号西暦
享保六年1721年尾張田中家開祖・田中伝四郎没。
文政八年1825年江戸幕府が異国船打払令。
文政八年1825年岐阜縣各務郡鵜沼村にて板津佐助が出生。
天保四年1833年東北地方、冷害のため大凶作。白米一升銀百匁、一俵一両。
天保六年1835年天保通宝が鋳造される。
安政元年1854年安政東海大地震が発生。倒幕運動に呼応するがの如く大地震が全国で多発した。
安政三年1856年岐阜縣各務郡鵜沼村にて長男・板津佐左衛門が出生。
慶應四年1868年四月十一日江戸城明渡し。七月江戸を東京と改める。九月八日慶應を明治と改元。
明治五年1872年岐阜縣各務郡鵜沼村(現在の岐阜県各務原市)にて二男・板津辰弥が出生。
明治七年1874年全国の戸籍が出来上がる。
明治八年1875年愛知縣丹羽郡楽田村(現在の愛知県犬山市)にて田中げんが出生。
明治三十七年1904年日露戦争。
明治三十九年1906年福島縣石城郡大浦村(現在の福島県いわき市)にて佐藤音吉が出生。
明治四十年1907年辰弥が田中げんと婚姻。愛知縣丹羽郡より福島縣石城郡に移る。
大正十五年1926年音吉が福島師範学校を卒業。以来二十七年、僻地教育の振興に心魂を傾ける。
昭和八年1933年二女・照子が佐藤音吉と婿養子縁組と婚姻。長男・弥吉が出生。
昭和十七年1942年福島県石城郡田人村にて三男・板津洋吉が出生。
昭和二十年1945年東京大空襲。広島・長崎原爆投下。ソ連対日参戦。ポツダム宣言受諾。
昭和二十二年1947年中華人民共和国山西省太原市南門にて石岡満子が出生。
昭和二十八年1953年音吉が奥會津への視察旅行中の車両横転事故で急逝。享年四十九。洋吉は十一で父を失う。
昭和三十三年1958年洋吉が日本大学(芸術学部 写真学科)進学のため上京。
昭和三十七年1962年6月。東京都練馬区貫井町に、中橋徳左衛門氏より土地を買受。
昭和三十九年1964年建物を新築。アパート経営(全四室)を始める。
昭和三十九年1964洋吉が全国新聞情報農業協同組合連合会(現在の株式会社日本農業新聞)に入社。
昭和四十一年1966年板津げんが死去。享年七十七。
昭和四十五年1970年北海道旭川市にて賀集美和が出生。
昭和四十七年1972年洋吉が石岡満子と婚姻。
昭和四十九年1974年青森県津軽郡浪岡町にて長男・板津淳が出生。
昭和五十三年1978年わが国世界一の長寿国に。
平成五年1993年淳が株式会社ふるさときゃらばんに入社。
平成七年1995年阪神・淡路大震災。地下鉄サリン事件。
平成十三年2001年洋吉が茨城県新治郡八郷町(現在の茨城県石岡市)にて、やさと農業小学校を設立。
平成二十年2008年リーマンショック。日本経済の大幅な景気後退につながる。
平成二十三年2011年東日本大震災。絶望の中にあって気高さを示す。
平成二十四年2012年満子が死去。享年六十五。
平成二十七年2015年11月。女性専用シェアハウスMother TREE(全三室)オープン。
株式会社アノラ設立。淳が美和と婚姻。
平成三十年2018年第二期改修工事が完了(全六室)。
平成三十一年2019年第三期改修工事が完了(全七室)。
令和元年2019年洋吉が死去。享年七十七。
令和二年2020年新型コロナウイルス感染症の世界的流行がはじまる。
令和五年2023年女性専用シェアハウスMother TREE リニューアルオープン。