げん婆ちゃん(板津げん)は、
福島県の山深い村にお嫁にやってきました。
集落の真ん中にある、
家業の呉服店を切り盛りしながら、
二男三女と大勢の孫たちを育て上げました。
妻であり、母であり、祖母であり、
嫁であり、姑であり、ストアマネージャーであり、、、
げん婆ちゃんは、
今で言うところのキャリアウーマンでありました。
村でも一番の、物を大事にする人でした。
ムダが嫌いで几帳面。
孫たちは、お婆ちゃんが村じゅうから
「ケチくさい」なんて思われてるんじゃないかと、
ヒヤヒヤ心配するほどでした。
戦時中のことでしたから、
げん婆ちゃんは土間に落ちた米の1粒も、
きちんと拾って大切に食べていました。
そうやって大家族を養ってきたのです。
戦争が終わり10年も経つと、
本家の孫たちも独り立ちする時代がやってきました。
げん婆ちゃんは孫たち一人一人に、
今までコツコツと貯めてきた蓄えを分け与えました。
長男には、家業である呉服屋を。
茨城で独立する次男には、
富士銀行に勤めた大学出の初任給が7,900円の時代に、
現金100万円を手渡しました。
東京の大学に通うことになった三男には、
東京の練馬村に、土地と家を与えました。
ケチで几帳面と言われたげん婆ちゃんは、
人一倍家族想いのやさしい人でした。
*
もうお気づきかもしれませんが、
練馬に土地と家を与えられたのが、
三男である私の父です。
げん婆ちゃんは、
私の曾祖母に当たります。
キャリアウーマンだったげん婆ちゃんが、
女性としての幸せを100%生きたかどうか、
私にはわかるはずもありません。
ひとつ確かなことは、
げん婆ちゃんは、今でも私たち家族と、
この家を見守ってくれているということです。
私にも、げん婆ちゃんの精神が息づいています。
価値観も多様化して単純ではない現代、
たくさんの役割を持った今を生きる女性たちが、
健やかな人生を歩むことは簡単ではありません。
でも、時代は変わっても、
コツコツと幸せを築き上げていくことに違いはないと、
げん婆ちゃんは私たちに教えてくれます。
ここでの暮らしを通じて、
幸せを育んでいけますように。
東京都練馬区の
女性専用シェアハウスMother TREEは、
心からあなたを応援します。
弘法大師ゆかりの湧水伝説もつ、
貫井川の清らかな流れが、
きっとあなたを導いてくれますよ。
げん婆ちゃんの微笑みに励まされながら。